牧師紹介
閨谷 欣也 牧師
ねやたに きんや
1969年 京都市で誕生。
1989年 大学時代、仏教を学びつつ、初めて昭和聖書教会の礼拝に出席。その後、京都聖書教会で求道を始める。
1993年 ダビデ・マーチン牧師(鯖江キリスト教会)との出会いを通し、信仰告白に導かれ、大和昌平牧師(京都聖書教会前牧師)より洗礼を受ける。京都聖書教会員として信仰生活を始める。
1995年 大和昌平牧師司式により結婚。
2005年 献身の召命が与えられる。
2006年 14年間勤務した仏教系大学を退職し、京都聖書教会から献身し、東京基督神学校(千葉県印西市)で家族とともに生活し、3年間の学びと訓練を受ける。
2008年 京都聖書教会より牧師としての招聘を受ける。
2009年 東京基督神学校を卒業し、京都聖書教会の牧師として就任する。家族は妻と子ども4人。
閨谷牧師の信仰
私は、中学、高校とバスケットボールをやっていました。スポーツは大好きなのですが、最近は本当に運動不足です。週に一度は一時間程度、歩くように心がけています。以前、長女と本気で競走し、太ももを肉離れさせてしまいた。最近は長男とのキャッチボールも楽しみです。しかし、上達した息子の投げる超スピードボールに少々たじろいでいます。
アウトドア活動も大好きです。ボーイスカウト仕込みです。ですから自然の材料でキャンプ空間を快適にすることに使命を感じます。こんな私が教会の礼拝に初めて出席したのは二十歳の時です。大学時代、仏教を学んでいた私にとって、衝撃的でした。
「初めに神が天と地を創造した。」 創世記1章1節
天と地を造ったお方がおられる。比べることの出来ない神がおられる。しかも、その神は唯一だという。神が唯一ならば、教会の人々のいう神は私の神なのか、そんな思いが起りました。その後、京都聖書教会で、仏教を研究する大和昌平牧師(現:東京基督教大学准教授・福音交友会 神学教師)との不思議な出会いがありました。そして、次第に神様を信じて歩みたいと思うようになったのです。しかし、なかなか一歩が踏み出せず、何か行き詰った思いになりました。「教会に来なければこんな思いを抱くことはなかった」そんな思いにさえなりました。そんな時、信仰は努力して得られるものではなく、与えられるものだと教えられました。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ2章8節9節
また、人それぞれに「時」があることも教えられました。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」伝道者の書3章1節
その後、故ダビデ・マーチン牧師(鯖江キリスト教会)との出会いを通して、信仰告白をいたしました。人間は生まれながらの罪人であることを印象深く教えられました。
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」イザヤ53章6節
生まれながらの罪は、自分の努力では解決できない。このことが良く分かったのです。そして、主イエス・キリストこそが、罪を解決してくださるお方であると分かったのです。主イエス・キリストは罪なき神の独り子ですが、全人類の罪の罰の為に、十字架刑によって死なれ墓に 葬られました。しかし、三日目によみがえられました。そして、今も生きて働かれ、このことを信じる者と共に歩んでくださるお方なのです。私は、自分の努力が全てという価値観から解放されました。そして、主イエス・キリストにあって、エキサイティングな日々を体験しています。